お米の行方

ぶぶ漬け」伝説で気になることがあって、まあ、どのくらいの普遍性があったか知らないけど、かつて宴会にお呼ばれしてもおかずと飲み物しか出てこないのが普通でご飯(お米を炊いたの)は自分で持っていくのが「常識」だったらしいんですよね。ちょっと今では考えられませんね。
一番新しいところでは戦中戦後の配給時代もこんな感じだったそうです。配給というのは(一応)必要な栄養から成人男性はいくら、女性はいくら子どもはいくらとお米が一人一人に決まった量を現物支給されるので、(理論上)他人に出すご飯は持っていない――出したら自分が一食抜かないといけない、ので当然自分のご飯はすべて自分で用意することになるわけです。
ちなみに、時代劇なんかで出てくる木賃宿っていうのもあって、これは今風に言うとキッチン付きホテルなんだけど、お米は自分で持っていって宿は寝るとことお米を炊く用の薪を提供するだけなんです。昔はこれが普通の宿だったので、自分の食べるお米は自分が用意するっていうのは実はかなり当たり前だったのかなって思います。今はもう考えられませんけどね。
かつて、お米はお釜と薪で炊いていた頃はご飯は1日1回しか炊かないもので、江戸では朝に関西では昼に炊いていました。(今は電子レンジのお陰で気にしないだけで似たようなものorもっと少ないかもしれません。)関西の朝粥っていうのはまあそういうことで、冷やご飯を食べる知恵だったわけです。――関係ないけど、夜ご飯は一番おかずが豪華なわりに冷やご飯だったわけで面白いですね。――つまり、家毎に1日のご飯の量は決まっていて毎日決まった量を1回で炊いていたわけですね。(これも今でも同じですけどね。)炊飯器がない時代いつもと違う量のご飯を炊くというのは結構難しかったのかも。
話は戻って、自分のご飯は自分で用意する場合ってぶぶ漬けって言うとひょっとしておつけものとお湯だけ出てくるとかですかね。