今や何億のゴッホの絵も生きている時は全然売れなかった

日本史では有名な女性の名前が記録されていない事が多々あります。世界的?に作品が知られている紫式部清少納言も名前はわかりません。この辺の時代は女性受けがいいので、名前が残っていないのは女性差別って結構言われます。私は女性差別があったことは否定はしないけど他にもっと大きな原因があると思っています。
例えば、運とか。運って大事ですよ。1000年後に残った戸籍に偶々名前が書いてあるってだけで何もしてないのに名前がわかる人々がいますから。
一番大きな原因は今有名な歴史上の人物と当時の重要人物は一致しないという単純かつ当たり前な事実だと思います。だって定子の母も妹も彰子の母も妹も名前が残っています。定子の女房――清少納言の同僚――の中には名前がわかる女性もいます。彰子の女房――紫式部の同僚――も名前がわかっている女性がいます。ところでこれら名前が残っている定子の女房や彰子の女房の本名を聞かれて答えられる人はどれくらいいるのでしょう。単なるミーハー歴史好きな私は一人も答えられません。紫式部の娘が賢子というのは知っています。つまり当時の感覚では清少納言紫式部もこれらの女性たちと違ってわざわざ名前を残す価値がない程度の人物だったんだろうなというのが私の感想です。ただ私も現代人なので、紫式部の娘の名前なんてわからなくていいから紫式部自身の名前の方が大事だとは思います。
清少納言紫式部も生没年すらわからないし、いつ女房を辞めたのかも大体しかわからないし、老後をどう過ごしたのかもわからないし。周りが彼女たちを書き記したんじゃなくて本人たちの作品があるから忘れられてないだけだし。当時は后の女房としてしか価値がない女性たちだったんでしょうね。平安貴族ってかなり醒めてるもの。