カーネーション

糸子の1枚目の着物はモダンでしたね。妹が糸子の矢がすり着ていました。お下がりですね。ちょっとしたことだけど、面白いです。糸子がお太鼓になったのは何故でしょう。大人設定ですかね。お太鼓で大の字は大変そうだけど、帯枕が柔らかいのでしょうか。神戸のおばあ様の奥様っぷりが素敵です。色は地味ながら細部に凝っています。
糸子に働けと言うなら、善作は神戸で土下座してでもミシンを借りてきてはどうでしょう。っていうか、パッチ屋をクビになった後、ミシンなしでアッパッパ作っていたのですか?手縫い?それとも就活だけでアッパッパ作ってなかったの?
当時岸和田に月賦があったのですね。月賦ってサラリーマンの発想だけど、岸和田では毎月定額のお給料を払う制度が浸透していたのでしょうかね。そういえば、分割払いっていつから定着したのでしょうか。
泰蔵に喧嘩をとめられて悲鳴を上げて逃げていく奈津が可愛いです。奈津が糸子をすねかじりていうのと、糸子が勘助がクビになったと聞いて嬉しそうでお菓子屋さんで楽しそうに働いているのを見て不満そうなのは根が一緒でしょうか。泰蔵に洋装を見られたくないのも一緒でしょうか。勘助なら照れるのもわかりますが。
お父さんと先生のバックで春太郎が奈津とおんなじことしてます。笑いました。糸子と先生の時もいたし毎日違う女性と来ているのでしょうか。お仕事大変ですね。
靴をあんなハンカチ、しかも白、の上に置いていいのですか?高い靴と言っていましたが、下駄とたいして変わらなく見えました。ヒールも太かったし。ところで先生はそんなに大荷物に思わなかったのに、着物に洋服何着もに帽子に靴に、どこから出したのでしょう。しかし展開速いですね。財前直美はこの一週間だけですか。贅沢ですね。
カレーに豚カツに意外と洋食一家です。お母さんの豚カツは別に焦げているように見えませんでしたけど。
あっという間に時間がたっていましたが、奈津と春太郎はどうなりました?
パッチ屋さんで働く時も思ったけど、ミシンで洋裁を認めるなら、偶々近所で偶々糸子が見つけた、しかも一週間だけ、じゃなく、大阪で習えないか?神戸なら?習い終わった後の仕事の有無は?といろいろ考えて動くべきだと思います。一応事業主でしょ?それぐらいのリサーチできなくてどうするのでしょう。未成年の糸子を信頼するのもどうかと。糸子にしても祖母にミシンを買ってもらうのに全く躊躇いがないのが不思議。当時の200円が今のいくらに相当するのかはわかりませんが、月賦で買うコースにわざわざ東京から講師を呼んで使い方を教えるサービスに会話からみて、安く見積もっても10万以上でしょうか。私の感覚的に50万くらいだと思います。どちらにしても親に相談なしに飛びつく額ではないですね。松坂家はお金持ちだけど、糸子は小原家で一般庶民な感覚で暮らしているわけでしょう。小学生の頃はともかく珍しいお菓子をおごりでバクバク食べているのも違和感ありました。芸人さんがおごりの時はそのお店で一番安いものを注文するように教えられたと言っていてさすが大阪と思ったのですが。経営が苦しいわりにラジオを買ったりしているし。小原家のこの浮世離れた感じは何なのでしょうか。自分ちは上手くいってなくて最悪潰れても、松坂家に助けてもらえるという甘えがあるからでしょうか?それとも製作サイドの感覚ですか?たった3年で失敗ばかりの修行中の糸子のお給料と仕事後のアルバイトのアッパッパで2人の学費が出せるっていうのもリアリティーなかったですし。いろいろ凝っていて楽しいだけにこういうところが残念です。大阪なのに。