幻のジョン2世

イギリスではジョン欠地王が不評なので2度と王にジョンという名をつけなかったというのは有名です。でも、曾々孫エドワード3世の息子のランカスター公はジョンという名前でその息子がヘンリー4世になっているからこのジョンまではタブーじゃなかったんじゃないでしょうか。ただ、ジョン自身は4男で兄が早世したために王位が近くなったので生まれたときに王位に就く可能性は少なかった王子です。もっとも、昔は幼児死亡率が高かったので生まれた時点での順番ってどれぐらい意識されていたのかはわかりませんけど。
まあ、それはさておき、このジョンはかな〜り王位に近づいたのですけど、王様になりたい気持ちが溢れていたらしく「ジョンという名前の王はもういらない」と反対派に言われちゃいました。むしろこのエピソードがトドメになってイギリス王家ではジョン王子がいなくなった気がします。もっとも、ランカスター公ジョンが本当にイギリス王(スペインは別)になりたかったのか単なる強硬派だったのかは不明です。何しろジョンが摂政をしていた相手がリチャード2世なので…。