帝の重み

三国志劉備の血筋というか家系というかの正統性みたいなのに疑問をもつ人が一定数います。それは一つの学問的な見方だけど当時の社会では劉備が皇族なのは確実であるという前提は崩せないと思います。
そもそも劉備が皇族として一定の敬意を払われるのは献帝が皇叔と認めてからではないでしょうか。それまでは、周り「だから何?皇帝の血をひいてたって、所詮ろくな兵力もない弱小勢力のくせに(笑)」→劉備サイド「キーッ、くやしー」って私には読めます。
しかし当時の感覚として皇帝が皇叔と認めたら、客観的にみて限りなく黒に近いグレーだろうと、99.999%あり得なかろうとその人は「皇族」になってしまうのです。皇帝が言葉にしてしまったら絶対的な事実になってしまい、違うんじゃないって言ったらそれはもう謀反でしょう。
もちろん、誰がみても疑う余地がないほど完璧な証拠があれば劉備は詐欺師として死刑ものです。*1
献帝の言葉=正統性があるからこそ、劉備三国志演義の主役として正義の味方になれたのでしょう。現実には献帝の言葉がなくても一国の主にまでのしあがる力があるのだからそれなりの地位は得たのでしょうが。献帝自身は皇帝という地位があったにも関わらず独立できませんでしたからね。確かに劉備と違い背負うものも多かったでしょうが、本人に力があればなんとかしようがあったと思いますよ。

*1:例え本人が嘘をついていなくて間違いを信じていても関係ありません。