幸運なお后さま

前漢の宣帝が好きなのですが、周辺人物で無茶苦茶気になるのが武帝の末っ子・昭帝の妻・上官皇后。
昭帝は幼くして皇帝になったので後見人として霍光、上官桀、金日單の3人が選ばれました。上官皇后は霍光の娘が母で上官桀の息子が父です。この血縁から6才で皇后になりました。もっとも母方の霍光は反対だったそうで3人の中でも主導権争いがあったのかもしれません。ところが何故か9才の時に父方の上官家が謀反を起こし一族皆殺しになります。更に15才の時には夫の昭帝が崩御し、子どものいないまま未亡人に。更に更に、23才で母方の霍家がこれまた色々な罪で一族皆殺しに。この30年ほど後に上官皇后は天寿を全うして夫の墓に埋葬されます。
何か波乱万丈なのですが、本人はどんな気持ちだったのでしょうね。
当然ながら皇后になったのは周りが決めた事で本人の意思ではありません。といっても当時は結婚相手は親が決めるものでしたし、皇后になれるっていうのは大出世なのでここまではいいです。
父方の謀反にも関わらず皇后でいられたのは幼少で謀反に関与していなかったのと実力者霍光の孫であったから(私的にこれが大きいと思います。)ですが、まあ何しろ父親が「宮殿に攻め込んだら皇后が巻き添えになる可能性がありますけど、どうしますか?」と聞かれて「小さいことに拘るな。謀反の成功に全力を尽くせ。」って答えたぐらいなので連座は可哀想ですね。しかし、親に見棄てられたっていうのと一族がいなくなって一人残されたっていうのはどう感じたのでしょう?
夫である昭帝の死は判断が難しいところです。霍光には自分の外孫で後見している上官皇后が皇太子を産むのが都合よかったため、阿った周りが昭帝が他の宮女を寵愛しないようにしていたらしいので、皇后として当時は安泰でした。でも昭帝次第で追い落とされていた可能性があるので何とも言えません。権力者の血縁で皇后になって輝かしい未来が約束されていると思われていた女性でも寵姫に追い落とされちゃったりしますからね。昭帝が早世していなければ天寿を全うできていなかった可能性だってありました。しかし、昭帝崩御の段階で中国のトップになったようなもので今度こそ人生安泰です。(武帝の皇后も昭帝の生母も既に死去しています。)ただこの状況を徹底的に利用したのは霍光で上官皇后の威光をもって次期皇帝を指名させています。
そうこうしている内に霍家滅亡の時をむかえますが、そもそも上官皇后は霍家をどう思っていたのでしょう?いってみれば父たちの仇です。霍家のおかげで皇后として生き残れたのも事実ですが、宣帝の皇后になった霍光の娘に遠慮していた記述もあるところをみると霍家サイドに気を使わせるような言動があった気がします。霍光の奥さんもすごい人ですし。霍家に上官皇后が連座しなかったのは当然で、皇太后を罰する事ができる人は中国には存在しません。例え皇帝といえどもです。
どうも上官皇后の心情は歴史上にほとんど出てこず昭帝の皇后であるのを周りに利用されているだけなのですが、単に大人しいかったというよりは生い立ちからして上官家滅亡の時から萎縮していたんじゃないでしょうかね。せめて自我の確立する年頃まで権力者の娘として遠慮することなく育っていたら、もう少し歴史に足跡を残せたんじゃないでしょうか。