終わりの始まり(verハプスブルク)

「戦争は他国に任せよ。幸いなるハプスブルクよ汝は結婚せよ。」という有名な言葉があります。これはすごく皮肉な言葉で、言い方は悪いですが、ハプスブルクは結婚先の世継ぎ不足につけこんで勢力を広げたものの、自分たちも二度の継承戦争によって没落していきました。
一度目はスペイン継承戦争で近親婚の弊害で有名なスペイン王カルロス2世の死でスペイン系ハプスブルクは断絶します。当初は皇帝ヨーゼフ1世の弟カールがスペイン王候補者でしたが、ヨーゼフが息子のいないまま死亡すると、カールがオーストリアハプスブルクを継がねばならず、ハプスブルクでは予備の王子がいなくなり、結局スペインはブルボン家のものになります。スペインと簡単にいいますが、アメリカ大陸の植民地を失い、後には歴史的にスペインと関わりの深い南イタリアブルボン家支配下に入ることになったのでハプスブルク家には大損失でした。
しかも兄に息子がいないため皇帝となったカール6世も息子に恵まれず、娘のマリア・テレジアの元でオーストリア継承戦争が始まります。よく見落とされますが、女性のマリア・テレジアハプスブルクを継ぐことだけが問題だったのではなく、ハプスブルクの娘婿のフランツが皇帝になれるなら、次男・カール6世の娘婿より、直系になるヨーゼフ1世の娘婿の自分の方が皇帝にふさわしいとバイエルンのカール・アルブレヒトが言い出したのも継承戦争の一因です。これはこれで一理あります。まあ、カール6世の生存中は黙っていて死後に権利を主張しだしたのは卑怯といえますが。結局この主張は通りカール・アルブレヒトはカール6世の次の皇帝、カール7世になりました。
名君と持ち上げられ過ぎなところもありますが、マリア・テレジアが優秀だったのは紛れもない事実です。彼女が凡庸ならカール6世の後、皇帝位は初期のように有力者の間を転々としていたでしょうし、ハプスブルクはもっと早く没落していて、歴史は大きく変わっていたでしょう。しかし、女性としては残念ながら、例え暗愚であっても男子が継承し続けていれば、ハプスブルクが失ったものはもっと少なく、これまた歴史は変わっていたでしょう。少なくとも、後に最大のライバルとなるプロイセンの台頭は抑えられ、ドイツ統一は違った形になったでしょうし、南ドイツのバイエルンがもう少し発言力があればハプスブルクに有利だったかもしれません。