バイリンガル、トラリンガル

ヨーロッパの歴史上の人物が何語をしゃべっていたのか不思議な時があります。
マリア・テレジアの夫のフランツ・シュテファンはフランス語圏出身で言語能力がなかったため、一生ちゃんとしたドイツ語が身に付かなかったそうです。しかし結婚後だけでもドイツ語圏で暮らした方が長いのに身に付かないってよっぽどですね。周りが気を使ってフランス語を話してくれたんでしょうけど。フランツ・シュテファンが国政に関与できずマリア・テレジアに実権を握られたのは、入り婿だからとか政治能力がなかったからだけじゃなく、ドイツ語がダメだったから会議で家臣たちと話が通じなかったからでは?娘のマリー・アントワネットが結婚当初、ろくにフランス語ができなかったのは皮肉な話ですね。一方マリア・テレジアは言語能力に恵まれていてハンガリー議会でハンガリー語で演説しハンガリー人の心を掴んだエピソードは有名です。これは単に自分の国の言葉をしゃべったからだけではなく、昔は言葉にも身分(みたいなもの)があってドイツ語>ハンガリー語で、やんごとない方はドイツ語をしゃべれれば十分でハンガリー語なんてしゃべらないのが当たり前だったから余計感動されたのです。
ロシアのドイツ出身のエカテリーナ2世はロシア語を猛勉強して習得したのですが、同じくドイツ出身の夫ピョートル3世はずっとドイツを忘れなかったそうでロシア語ができなかったとも言われています。
ロシアといえば最後の皇后アレクサンドラが孤立したのは、身分上ドイツ人だったけど中身はイギリス人だったからというのも一因だといわれています。アレクサンドラはドイツ内の小国のヘッセン公女ですが、実は彼女の母親のイギリス王女が結婚後ヘッセンの宮廷をイギリス風に改造してしまい宮廷内の公用語も英語にしてしまったため、アレクサンドラの母国語は英語でした。死ぬ少し前までの直筆の日記が残っていますが最後まで英語で書かれています。しかもアレクサンドラは母親を早くに亡くしたため少女時代を祖母のヴィクトリア女王の元で過ごしています。ところがロシアの妃はほとんどがドイツ人でロシア宮廷はドイツ慣れしていましたがイギリスとは距離がありました。
個人的事情以外にも、慣習として宮廷内の公用語が宮廷のある場所の言葉と違うことがありました。イギリスでも上流階級がフランス語を話している時代とかありましたしね。昔といっても国よってはかなり最近までこういうことがありました。第二次世界大戦中、ドイツに占領された地域の君主の多くは亡命に成功し、外国(主にイギリス)からラジオを通じて国民に語りかけていましたが、中にはそのためにわざわざ自国の言葉を習った人もいました。