似たもの姉妹

多分日本でほとんど知られていないマリア・テレジアの娘にしてマリー・アントワネットのすぐ上の姉、ナポリ王妃のマリア・カロリーナ。マリア・テレジアの娘の中では一番できがいいとも言われています。
マリア・カロリーナは姉の急死により代わりにナポリに嫁いだ女性です。
結婚相手の元スペイン王子のナポリ王フェルディナント4世は知的障害があったと言われている人物で、幼くして王になった経緯もあって父親のスペイン王が間接統治しているような状況でした。そんなところにお嫁入りしたマリア・カロリーナですが、結婚の条件に王子を産んだら政治を任すというのがあったらしいです。誰もフェルディナントには期待していなかったのですね。色々あって、舅のスペイン王とは仲が悪くなりますが実家の母と兄はマリア・カロリーナを応援していました。デュ・バリー夫人との関係をめぐってマリー・アントワネットに散々舅と仲良くと言っていた道徳的な面を強調されていますが、実際には自分たちが有利になることが最優先というよい見本ですね。君主の鑑です。
何だかんだでそれなりに権力を手にしたマリア・カロリーナは夫を愛せないとはっきり言いながらも16人の子どもを生みました。しかもマリー・アントワネットと違い、結婚後に祖国のオーストリアを訪ねているようです。娘を甥の神聖ローマ皇帝トスカーナ大公の妃にしたり跡取り息子の妃も実家のハプスブルクから迎えたりしているので、実家とのつながりは結婚後もかなり強かったのでしょう。
マリー・アントワネットが革命に巻き込まれて以降アンチフランスになり、ナポレオンとも戦いましたが、夫ともども追い出されてしまいました。ただナポリからは追い出されたもののシチリアで国王になれました。しかし、マリア・カロリーナの影響力を小さくするために息子が摂政になって実権を握ってしまうというつくづくフェルディナントって頼りなかったのねという状況でした。
ナポレオンの没落後ナポリに戻れたものの追い出されて実家に帰るのですが、死んだときも家族からあまり悲しまれなかったそうで、フェルディナントはたった2ヵ月後に政略結婚ではなく身分の低い女性と再婚しています。
後、マリー・アントワネットの姉だけあって愛人と噂される外国人の寵臣がいて、この男性は夫のフェルディナントから脅されたり、一時は追放されたりしていたらしいです。もっとも早々にマリア・カロリーナが呼び戻したそうですけど。
一応いい政治もしていたのですが、実家に寄りすぎなのと、フランス革命トラウマで自由を目指した国民への弾圧が激しかったのと、時代の流れが速すぎて結果がきちんと出せなかったのと――まあ、色々原因はあるのでしょうけど、結局はイタリア人に嫌われちゃったのが敗因でしょう。確かにハプスブルクからしたら「いい娘」だったんでしょうね。まあ、フランス革命→ナポレオンの台頭さえなければ問題はあってもナポリ王妃として生涯を全うできたのでしょうね。
このマリア・カロリーナは一時フランスの皇太子妃候補だった為、一部でフランス王妃になっていたらフランス革命はマシだったかもといわれています。すっごく迷うのですが、私はマリー・アントワネットに「あなたはこんな姉よりダメなのよ」っていうべきか、フランス人に「こんな王妃で十分って思われてますよ」というべきかどっちなのでしょう?