茶道は男のすること

大河で明後日利休が切腹しますが、利休って茶道の天才以前に堺の有力者ですよね。単に茶道の天才でも、バッグに堺がついていなかったら、信長、秀吉はもちろん大名たちからも相手にされなかったし、歴史に名を残すことも無かったのではないでしょうか。利休以外にも、表向き芸術家で裏で各種交渉引き受けますな人もけっこういましたし。利休を芸術家と思うから秀吉ともめたのが謎になるわけで、実際はどろどろした政治の中でそれなりの役割を担っていたんだし、やめますっていったとしても(これは大河の創作ですが)口封じされて当たり前なくらいの情報持っていたのでは?
そもそも茶道自体がお嬢様の花嫁修業扱いされるようになったのが近年のことで、長い間男同士が密談する場だったわけですから。ヨーロッパのカフェみたいなものでしょうか。
まあ、茶道関係者からしても利休が孤高な芸術家ではなく裏ありの人間であっては困るのかもしれませんね。