子守りは辛いよ

かつては子守り奉公というのがあって今なら小学生くらいの女の子が従事していました。赤ちゃんを背負い、髪が赤ちゃんに当たらないように手拭いなんかを巻き、冬は半纏を着ていました。もちろん仕事優先で義務教育すら受けれません。
で、この子守りがどういう仕事かというとひたすら赤ちゃんを背負っている仕事です。赤ちゃんが泣こうが喚こうがおんぶあるのみです。紙おむつがない時代なので、洩れやすい布おむつですが、おしっこが洩れて背中がぬれてもひたすら赤ちゃんを背負っています。うんちが臭いどころか洩れて背中についてもひたすら赤ちゃんを背負っています。絶対!に大人に助けを求めて仕事の邪魔をしてはいけません。
母親の元に返す頃には、赤ちゃんは空腹とおむつの気持ち悪さで泣き疲れて声はかれ、目はうつろだったそうです。
注1:子守りの年頃の女の子たちは一人で赤ちゃんを背負うことすらできなかったので自分でおむつを代えるなんて無理でした。
注2:母親は赤ちゃんの世話をしている時間なんてないくらい働かないと食べていけませんでした。
念のために言っておくと、これは普通の子育てでもひどい子育てでもなく、わざわざ赤ちゃん一人のために(人件費激安の子どもとはいえ)使用人を雇えるような経済的余裕のある家に生まれた恵まれた赤ちゃんの育てられ方です。貧しい家庭の子育ては推して知るべし。そりゃあ乳母がついているのがステータスにもなりますわ。
というのをカーネーションを見ていて思い出しました。直子みたいな子どもは柱にくくりつけて終わり、な家が多かったと思うけど基本的に糸子周辺って当時の感覚からしたら色々余裕ありますよね。都市部だから?